開学2年目の1967年、当時2回生の井上憲明(1970年卒)を中心に1、2回生10名ほどが集まって同好会として発足。当時は学内のグランドを使えず、加茂川にかかる出雲路橋近くの河川敷グラウンドで練習を行っていた。
2期生の同期に後に神戸商科大判正憲・監督の弟がいた縁で、判が初代コーチを務めたが、創部時は立命館大、京都大、同志社大などと合同練習を積み、知識を蓄えた。初試合は1968年に京都大との対戦で、0対90の大敗だった。
1968年に同志社大と新人戦を組んだのをきっかけに、当時同志社大の主将だった森田康稔が卒業後も河川敷グラウンドに頻繁に訪れて指導にあたっていたことをきっかけに、初代監督に就任した。
リーグ戦に参加して5年目の1974年に1部に当たる関西リーグとの入替戦に出場。以後、2部の上位校として定着している。
1部への挑戦は1974年以後も続き、1978年の入替戦では守備戦の末、神戸学院大と協会史上初の延長戦にもつれ込んだが10対2で惜敗した。
念願が果たされたのは創部から23年後の1988年。前年に関学OBの山崎氏を迎え、それまで知らなかった新しいフットボールを吸収し、リーグ戦を6勝1敗で制した。大阪体育大との入替戦で、35対20で勝利を収めた。
長い歴史の中で1部目前の壁を越えられた瞬間であった。
1部には89年、90年、92年、94年、95年に所属。94年は2勝5敗6位でチーム史上最高の成績を残した。
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